本日ご紹介するのは、1993年製のA-2です。
アメリカ義勇軍『Fliyng Tigers』のバックプリント、左肩のC.B.I戦区章、ライニングに貼り付けられたブラッドチットなど、カスタム盛り盛りの本ジャケットは50着限定のスペシャルアイテムとして販売されました。
それではスペックを確認していきましよう。
【The REAL McCOY’S】 ザ・リアルマッコイズ
【The Real McCoy’s】=「正真正銘」「本当の本物」アメリカのボクシングチャンピオンKID.McCoyを同名の選手と区別するために生まれた俗語。
アメリカンミリタリーやワークウェアのアイテムを高度な再現技術で製造。
ヴィンテージアメリカンカジュアルウェアのディテールや素材にこだわり、当時のクオリティを再現することを目指している。
アメリカンミリタリーの歴史やデザインに敬意を払いつつ、本物の雰囲気を再現したフライトジャケット、デニム、ワークパンツなどのアイテムを展開。
ファッション愛好家やコレクターから支持を受け、高品質なアメリカンカジュアルウェアを提供している。
【History】歴史
1987年、イラストレーターの岡本博が当時の仕事先である雑誌POPEYEの特集において、限定300着のA-2フライトジャケットを制作し販売、予約時点で完売という大反響を受けて翌1988年に会社ザ・リアルマッコイズ・ジャパン (旧リアルマッコイズ)を興す(1990年法人設立)。
設立当時には現フェローズ代表の志村昌洋もスタッフに名を連ねていた。
その後、フライトジャケットの復刻ブランドとして名を上げ、1997年にはジョーマッコイを誕生させ、ジーンズ業界に本格的に参入を果たす。
しかし2001年、手形の詐取が原因となり、同年6月16日、東京地方裁判所へ民事再生法を申請し倒産した。負債総額は2000年5月の時点で約11億3000万円。
翌年、兵庫県神戸市の特約店 NYLON (ナイロン) が後を引き継ぎ、ザ・リアルマッコイズ・インターナショナル (現リアルマッコイズ) として現在に至る。
引用:『ザ・リアルマッコイズ』2023年3月17日 (金) 12:54 (UTC)ウィキペディア日本語版
A-2 Flying Tigers 1993s
- 製造年:1993年製
- 素材:北米産トップグレードホースハイド (馬革)
- タンニング&フィニッシュ:クロームと植物渋の混合鞣しアニリン系下地染料ドラム染色、エマルジョンラッカーあるいは、アニリントップフィニッシュ
- ライニング: コットン100%ブロードクロス
- ニットパーツ:100%メリノ種ウール 1930年、米国防省MIL規格に準じる針寸、釜径、針数。
- サブバーツ
ドットボタン:RAU Fasteners Inc 【GOVERNMENT BALACK】
ネックフック:真鍮製クロームフィニシュ
ツインアイレット:真鍮製
ジッパー:テープ/コットン100% 3/4インチ スライダー/MIL規格真鍮製
- サイズ:36
- 実測値(素人採寸の為、多少の誤差あり)
肩幅:43cm
身幅:49cm
着丈:56cm
袖丈:62cm
※不確かな情報は掲載しないように心がけておりますが、もし間違った情報に気づかれた方はコメント欄より教えていただけると幸いです。
ディテール
襟の形状はスタンダードな印象。
襟は台襟あり。ボタンはドット型で頑丈。
AVG(アメリカ義勇航空隊)時代に採用されたマーク。
当時ウォルト・ディズニー・スタジオでデザインされました。
フラップポケットにも同様のボタン。
右側面。
第14航空軍のために公式に採用された部隊章。
部隊のハワード・H・アーネガード見習い曹長がデザイン。
AVG時代に採用された翼の生えたベンガル虎と、陸軍航空隊の星をモチーフにしたもの。
左側面。
左肩にはレザー製のC.B.I.戦域インシグニア(戦区章)。
インシグニアについては後述します。
エポーレットはやや太め。
ステッチが襟に巻き込まれていますが、これは各サイズごとにエポーレットのパターンを変えるか否かによるもの。
今回のA-2に関しては全サイズ共通のエポーレットを使用することで起きた事象を再現しているわけです。
迫力のあるバックペイント
カーチスP40戦闘機。
愛称「シャークマウス」
P=Pursuit(追撃)の意。
岡本博氏(現トイズマッコイ代表)のサインも。
このA-2は50着限定で制作されました。
両脇下には通気性を確保するためのツインアイレット。
袖と裾には厚手のウールリブを使用。虫に食べられやすいので、保管の際は防虫剤必須。
裏地は表と同色系のコットンブロードクロス。
首裏に縫い付けられたラベル。
前立裏には小さなエアフォースマーク。
ジッパーはクロームメッキ。
ブラッドチット。
こちらの詳細も後述します。
付属品
- 真正性(COA) シリアルナンバー18/50
- 第14空軍の資料
- 手紙
- オーナーズガイド
- アンケートはがき
パッケージ
【Flying Tigers】 フライングタイガース
1941年12月8日。
日本海軍によるハワイ真珠湾奇襲の結果、戦争に突入したアメリカ合衆国だったが、それに対する準備は完全に遅れていた。
これは特に極東地区の中国、ビルマ、インド方面において顕著だった。
中国は1937年から日本軍による侵略をうけており、戦争の勃発によってイギリス領のシンガポールやビルマも危機にさらされていた。
だが、アメリカはヨーロッパの戦争を最優先し、極東方面はその次とされている。
したがって日本軍と戦う中国の存在はにわかに注目を集めることとなる。
1941年12月末、アメリカ陸軍は中国、ビルマ、インド戦域 (頭文字を取ってCBI戦域と呼ばれた)を設置し、中国に対する援助を実施する。
その本部は蒋介石が率いる国民党の首都である重慶(チュンキン)とイギリス軍の本部のあるインドのデリーに置かれた。
司令官には “ビネガー・ジョー ( 苦虫ジョー)”の異名を取る ジョセフ・スチルウェル中将が任命されたが、その実際の兵力はほとんど無に等しかった。
その中で唯一精彩を放っていたの フライングタイガース (Flying Tigers)” の名前で知られるアメリカ人義勇航空隊だったのである。
【Insignia】 C.B.I.戦区章(インシグニア)
1941年に開設されたCBI戦域とは、Cはチャイナ=China、Bはビルマ=Burma・現ミャンマー、Iはインド=Indiaの略で、日本と戦う中国を支援し、戦争から脱落を防ぐことを目的としていました。
CBI戦区章は革製の物がごく一般的ですが、そうでない布製のも存在したそうです。
ちなみにこのインシグニアは左肩の縫い合わせから1/2インチの位置に縫い付けるという規定があったそうです。
【Blood Chit】 ブラッドチット
ブラッドチット(直訳=血統書)はパイロットや航空機の乗組員が緊急着陸や敵の支配地域に不時着した際に、現地の人々に自分たちの友好的な身分や連絡先を伝え、救援、救護を求めることを目的としています。
別名「避難証」「識別証明書」とも言われ、主にジャケット内側や背中に縫い付けられたとされています。
上のブラッドチットには中華民国の国旗に中国語で「戦い援護するために中国へ来た洋人(アメリカ人)。軍、民間を問わず救護する事」と記されています。
元祖は第一次世界対戦後期にイギリス軍航空隊が使用したものとされています。
【What is A-2】 A-2とは
A-2はそれまでのA-1に代わり、1931年5月9日に陸軍航空隊に採用されました。
区分はライトゾーンetcの表記はないものの、当然のことながら夏期用のフライトジャケットです。
このA-2の採用された当時は、依然としてカーチス・ホークなどのオープン・コクピットの機体が多かったため、防寒性よりも防風性を重点に開発されました。
その一例が、襟を留めておくボタンであり、ホイッスルフックと呼ばれるフックも付いていました。
ウインド・フラップも内蔵タイプではなく、ジッパーを上から隠してしまうタイプでシンプルなスタイルとなっています。
材質は初期にはホースハイド(馬革)を使用していましたが、第二次世界大戦が進むにつれ、ステア、カウ、そしてゴートスキンまでが使用されました。
さらに、兵士の増員に伴う大量生産が求められた結果、コントラクター(納品業者)も増加します。
コントラクターにはラフウェアやペリースポーツ、エアロレザーなど、分かっているだけで十数社存在します。
各社はミルスペックを元にA-2を製造するわけですが、材料の調達状況や現場の解釈などにより、仕上がりに微細な個性が生まれます。
襟の形状、ポケットのカーブや配置、レザーの発色など、それは横に並べて比べてみないとわからないようなささいな個性です。
しかし、そのささいな個性が今日のA-2フリークのマニア心をくすぐる要因となっています。
そんなA-2は時代の流れとともにナイロン生地を使用したL-2にその座を譲ることになります。
A-2自体は1944年に生産が中止されますが、1987年アメリカ空軍40周年の年に復活を遂げます。
復活第一段はAVIREX社が担当し、200着を製造しました。
A-2は現在も引き続きアメリカ空軍に供給されており、民間では様々なメーカーが当時のままに忠実な復刻を試みるなど、MA-1と並ぶ人気のフライトジャケットとして愛されています。
【Making of McCOY’S A-2】 A-2の製作
【Horse Hide】 馬革の魅力
衣料用の皮革としてもっともポピュラーな物は牛革です。 大判で厚みのある素材としてあらゆる製品に適しています。
しかし、その強度で牛を凌駕するのが馬なのです。
馬の繊維は緊密で強靭です。 同一の鞣し(なめし)をした同じ厚さの牛皮と比べるとはるかな強度を持つと言われます。
そして臀部(でんぶ)には超高級素材のコードバンを有しています。
また牛革は使い込むと全体的にやわらかく、表面も粗くなっていきますが、馬革は年月経過により、表面に独特の艶を帯び輝いてきます。
さて、皮は鞣されてはじめて革になるわけですが、この時点での基本作業がその皮革の善し悪しやグレードをすべて決定してしまいます。
その後の着色や仕上げはあくまで二次的な要素で、基本鞣しが革の生命といえます。
馬の特徴はその強靭な繊維と、しなやかなでスムースな銀面(表面)にあります。それらの長所を生かしながら基本鞣しを成功させるには、高い技術力が必要とされます。
馬は活発で毛足が短いことから原皮には傷も多く、メーカーにとってはハイリスクな素材です。
牛皮ほど表面層の厚くない馬の原皮はある意味でごまかしがきかない素材なのです。
しかし、その分牛革に比べロングライフの馬革は、1930年代から50年代にかけて、アメリカではホースハイドのジャケットが多く存在しました。
レザージャケットに実用性を重んじる時代、タフな素材の馬革をA-2のメインマテリアルとして軍が使用を決定したのは当然の結果と言えるでしょう。
McCOY’S A-2 ジャケットに用いられたホースハイドは北米産の馬を原皮としています。
これらは僅か7%までに厳選された原皮を、特殊なレシピ(クロームとタンニンの混合)を持つ基本鞣しを施しています。
一切の見栄えのためのパンプアップ加工や(鞣し作業の一過程で石灰質を投入し革の厚みを揃える)、銀擦り加工(表面を削って傷を見えなくする加工)、プリント加工(革の表面を模した型押し)は行っておりません。
つまり徹底的に100%マテリアルの素質を生かした贅沢な手法によっています。
トップ仕上げのエマルジョンラッカーやアニリン塗料は真正の銀面の上にスプレーされているものです。
よって、革のしわや小さな傷は、まっとうでタフな馬革である誇るべき話しといえます。
このようにして出来上がるホースハイドは100着分を揃えるのに7ヵ月間を要します。
【Cutting】 裁断
McCOY’SがA-2を製作するにあたって選んだ方法は、通常の量産ラインを避け、熟達した革職人チームを編成することでした。
ほとんどの工程がハンドメイドになり、それにつれコストもアップしますが、すべてにおいて最高なA-2を完成させるためには必要不可欠なことでした。
まず馬革は工場にて、2ヵ月から3ヵ月梱包時のロール癖を直し塗料絞めをするために、適温適湿のストックルームで寝かされます。
その後いよいよ生産スタッフによりカッティング作業に入ります。
型抜きは太陽光にあふれたカッティングルームにてダメージをチェックします。 そこでは不適格な部分は惜しげもなく切り捨てられます。
この贅沢な基本作業がその後の製品のロングライフを決定します。
次に革の色合わせがなされ、いよいよカッティングです。
細分化されたA-2のそれぞれのパーツの型紙を置き、クラフトマンがハンドカットしていきます。
その際は革の方向や伸び、着用時のテンションなどを計算したMcCOY’Sスペックによる厳しいカット作業が行われます。
ホースハイドはこのようにしてパーツに切り分けられ、いよいよ縫製セクションに回されます。
【Sewing】 縫製
McCOY’S A-2を縫製するミシン群やボタンの打ち機は、大部分が当時の軍規格のものです。
縫製に当たっては当時のレベルを踏襲するために、コンピューターミシンなどの使用を敢えて避け、すべてがアナログミシンにて行われることが当時の風合いや味を再現し得ると信じるからです。
切り分けられたパーツは、ミシンの前でマシニストによってチェックされ、いよいよ縫製作業に入ります。
ここではそれぞれのスタイルのA-2のスペックに従い、数十にも及ぶ工程を経て、縫い上げられていきます。
そのスペックはMIL規格をさらに厳格にしたもので、細部のステッチやシームの目数まで及びます。
こうした生産方法は通常のライン生産に比べると倍近い時間が必要とされます。
当時と同様に一人一人のマシニストが一着一着を責任生産して、A-2は現代に蘇っていくのです。
THE REAL McCOY’S 5th ANNIVERSARY
McCOY’S 製品のオーナーである貴方へ・・・・
THE REAL MCCOY’S FLIGHT JACKETを復刻し始めて、5年目のシーズンがやってまいりました。
ひとえに皆様のご支援のお陰と感謝しております。
貴方がMCCOY’S製品を選ばれたのは、どのような理由からでしょうか。 革を着ることが好きだからですか?それともフライトジャケットがお好きなのでしょうか?いずれにせよ、それはただのファッションとしてではないでしょう。McCOY’Sの製品より安価な大量生産品は世間に溢れていますが、それよりも高価で、ある意味では最初は着やすいとは言えないものを選んだからには、実用着やファッション着とは別の理由が存在したのでしょう。それは飛行機乗り達への敬意でしょうか。大空への憧れですか。徹底的に突き詰められたミリタリークロージング の持つ機能性ですか……。
McCOY’Sが製品を作るうえで細部にこだわる理由は、私たち自身が、 McCOY’S製品を着るということが、ライフスタイルの一つであると確信しているからです。生き様であるライフスタイルには妥協したくないのは万人の願いです。McCOY’S製品はそれに答えたいと思います。ちっぽけなボタンや一本のジッパーも、オリジナル以上の働きをする現行品は確かに存在します。タイトフィットよりブルゾンタイプの方が、 大量販売には適しています。しかしミリタリークロージングとして誕生したFLIGHT JACKETを作り手や売り手側の都合のみで、勝手に変更や省略してしまうと、もはやそれはミリタリ ークロージングとは呼べなくなることを、ご存じでしょう。貴方は McCOY’S製品をお選びくださった。 まさにそれは作り手である私たち同様、着用する貴方自身もライフスタイルへのこだわりをお持ちなのだという証しです。
週末の夜やデイオフ、あなたはFLIGHT JAKETを身につけて、BAR カウンターに座っているかもしれないし、アウトドアライフを楽しんでいる、バイクで風を切っているかも知れません。また貴方の大切な人と時を共有していらっしゃるかも知れません。 McCOY’Sはあなたのそんな一番重要なシーンに常に傍らに在るような製品を誇りをもって創って行きたいと考えております。MAcCOY’Sをお買い求めいただいた貴方。今からこの一着で新しいライフスタイルが始まります。そしてさらに次の一着からも、また新しいシーンが開けて行くことでしょう。着る喜びは、洗練された立ち居い振る舞い、余裕のある物腰を呼び、アクティブな行動へと駆り立て、貴方をさらに正真正銘 【REAL McCOY】な存在に誘うでしょう。そしてMcCOY’Sは貴方の感動と満足をお約束することで、5周年のお礼と代えさせていただきます。
さあ、McCOY’Sライフスタイルの世界ようこそ!
THE REAL McCOY’s
※付属の手紙より抜粋
1993年の出来事
日本
- 細川連立政権が誕生: 1955(昭和30年)年以来、政権を担当した自民党は初めて野党に転落。7月の総選挙で、自民党は第一党ながら過半数割れとなり、新生党、新党さきがけ、日本新党に社会党などが加わった細川護煕氏を首相とする連立内閣が誕生。
- 皇太子、雅子様ご結婚: 6月9日、皇居にある宮中三殿において、結婚の儀が執り行われ、本儀式により日本の皇太子徳仁親王(当時33歳)と小和田雅子様(当時29歳)は結婚し、雅子様は皇太子妃となった。
- 円、戦後最高値: 2月以降、円レートが急上昇し、6月15日には104.80円という戦後最高値(瞬間値)を記録。
アメリカ
- インターネット普及: 2月にMosaicと呼ばれる初のウェブブラウザが登場し、ウェブの普及が始まる。インターネットの普及に大きな影響を与える。
- ワールドトレードセンター爆破事件: 2月26日ニューヨーク市ワールドトレードセンターの地下駐車場で爆発があり、6人が死亡し、数百人が負傷。アルカイダの関与が疑われた。
- ブラックホーク・ダウン事件(モガディシュの戦闘):10月、ソマリアのモガディシュで、アメリカ軍特殊部隊がモハメド・ファラ・アイディードの部隊と交戦し、18人のアメリカ兵が死亡。
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