本日ご紹介するのは、バズリクソンズの1993年製B-15Aです。
第二次世界大戦下において、皮革資源の枯渇に見舞われた米軍はそれ以外に可能性を見出そうとします。
そうして初のコットン製フライトジャケット『B-10』が誕生します。
その後、B-10の改良版『B-15』に進化し、さらにそれを改良したのがこの『B-15A』シリーズです。
それでは詳細なスペックを見ていきましょう。
BUZZ RICKSON’S【バズリクソンズ】
BUZZ RICKSON’S(バズリクソンズ)は、1993年に誕生した日本のブランド。
当時のMIL SPECを基に、フライトジャケットのデザインや素材、ディテールを忠実に再現し、高品質な素材や縫製技術を駆使して世に送り出している。
その他フィールドジャケット、デッキジャケット、デニム、シャツなど、アーカイブと研究に基づいて、当時のデザインや素材、ディテールを正確に再現し、その徹底的にこだわったクラフトマンシップにより、国内外より高い評価を得ている。
History【歴史】
【東洋エンタープライズ】
前身会社は三菱財閥系の商社で生地貿易を行っていた「港商」 (港商は1965年に解散) 。
戦後まもなくスカジャンを作り始めた会社で、ブランドテーラー東洋によるスカジャンは、1960年代当時、米軍PXへの納入シェア 90% 以上を占めたこともある。
現在では、アメリカンカジュアルウェア全般の企画・製造を手広く展開しており、実在した旧ブランドの実名復刻も行っている。
代表的なブランドとしては、シュガーケーン、バズリクソンズ、サンサーフ、ジョン・セバーソン、インディアンモーターサイクルなどがある。
代表取締役社長の小林亨一は、世界的なヴィンテージ・アロハシャツのコレクターであり、研究家としても知られている。
バズリクソンズは1993年に旧マッコイズと共同で立ち上げたミリタリーウェアブランド。
当初は、既にA-2などの革製フライトジャケットを展開していた旧マッコイズとの棲み分けのため、MA-1に代表されるナイロン素材のフライトジャケットの製造販売を行っていたが、旧マッコイズの離脱以降は革製フライトジャケットも含めたミリタリーウェア全般を展開している。
ブランド名は、映画「戦う翼」の中でスティーブ・マックィーンが演じる役名に由来する。
引用:『東洋エンタープライズ』最終更新 2023年5月28日 (日) 01:23 (UTC)ウィキペデイア日本語版
B-15A Cotton Flight Jacket 1993s
- 製造年:1993年製
- 表地: コットンツイル
- 裏地:ウール(アルパカとウールの混紡)
- 外ポケット:コーデュロイ
- 内ポケット:ヘビーコットンツイル
- ファスナー:TALON真鍮製
- ニットパーツ:ウール
- 襟:ムートン
- サイズ:38
- 実測値(素人採寸の為、多少の誤差あり)
肩幅:48cm
身幅:58cm
着丈:60cm
袖丈:67cm
※不確かな情報は掲載しないように心がけておりますが、もし間違った情報に気づかれた方はコメント欄より教えていただけると幸いです。
Detail【ディテール】
Accessories【付属品】
Package【化粧箱】
What is B-15A【B-15Aとは】
1943年、皮革の供給不足を解消するために生まれた初のコットン製フライトジャケットB-10を皮切りに、1944年4月には後継モデルのB-15が誕生しました。
さらにその約半年後の11月、改良を加えたのが『B-15A』です。
B-15からの主な進化点はデマンド式(三角形)の革製オキシジェンタブの採用。
他にはヘッドセットのICSコードを通すICSコールドループも装着されました。
左肩のペンシルスロットはまだシンプルで、ジッパー式のシガレットポケットが追加されるのは15-Bになってからです。
エポーレットはB-10からB-15になる際に省略され、B-15Aでもその流れを汲んでいます。
1993s Key Events【1993年の出来事】
- ワールドトレードセンター爆破: 1993年2月26日、ニューヨークのワールドトレードセンターに爆発物が仕掛けられ、6人が死亡し、多くの人が負傷しました。
- 欧州連合(EU)設立: 1993年11月1日、欧州連合(EU)が発足し、ヨーロッパの統合が一段と進展しました。
- チェルノブイリ原子力発電所閉鎖: 1993年12月、ウクライナ政府はチェルノブイリ原発の最後の1号炉を閉鎖し、事故から7年以上経過した後も放射線の漏れを防ぐための措置を取りました。
- イスラエルとパレスチナのオスロ合意: イスラエルとパレスチナの間で1993年9月にオスロ合意が締結され、中東和平プロセスが始まりました。
- ワコの悲劇: 1993年4月、アメリカのテキサス州でデイビッド・コレシュ教団との対立からワコの悲劇が発生し、数十人が死亡しました。
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